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中野寛成の波乱万丈 7
衆議院初立候補と落選
 私が、豊中市議会副議長のとき、民社党大阪3区(当時)の衆議院議員だった岡沢完治先生が急逝されました。昭和47年のことです。
 すでに、衆議院の解散風が吹いており、候補者探しは急を要しましたが、選挙区内の5人の府議会議員の中で手をあげる方はなく、結局「若い人、タレント、女性」の中から探そうということになり、最終的に、「選挙区内で最年少議員であり、マスコミにも取り上げられている」などを理由に私に白羽の矢が立てられました。
 しかし、当時の大阪3区は、豊中から枚方まで広大な選挙区であり、準備期間も短く、10万余票を頂きましたが、見事に落選。丸4年の浪人生活を送ることになりました。
 その間、生活も苦しく、途中に妻に「政治をやめて、他の道に進もうか」と相談した時、妻が「子供の時に目指した政治の道を途中で中断して後で後悔しないの?」との言葉に思いとどまったことが、その後の私の励ましとなりました。
 しかし、その間に生まれた二人の娘の子育てなど、妻には大変な苦労をかけたことは常に感謝しています。
中野寛成の波乱万丈 8 へ続く
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